初めての蘭州訪問⑤~ついに謁見す!~

ニーハオ!ひいろです。
本格的に梅雨らしくなりましたね。
お陰で、湿気で前髪がもじゃもじゃです…。

さて、蘭州で賓館に泊まり、朝が来ました。
鄭先生の診療所「鄭氏鍼灸研究所」へ行きます。
診療所には鄭俊江先生と弟の俊武先生、弟子3人がいました。

ちなみに鄭俊江先生は6人姉弟。
医者として仕事をしている先生がほとんどですが、設計士をされている妹さんもいます。
皆さん、全員が家の中で、教育の一環として鍼灸を学んだことがあるのには驚きました。
名前に「俊」の字が入っています。
同世代に同じ字を使う風習があります。

鄭魁山先生の昔の名前は「福永」と言いました。
日本軍に捕らえられ、脱走した後に改名したそうです。
魁山先生の弟さんと妹さんにも「福」の字が入っているそうです。

鄭俊江先生は鄭魁山先生のご長男で、鄭氏鍼法第5代目継承者です。
診療所の入り口で私を見て、俊江先生が招き入れてくれました。

俊江先生:蘭州にはいつ到着したんだ?
ひいろ:昨日到着しました。この後、また北京に戻ります。

そして、数日後には一時帰国する旨をお伝えしました。
次回戻って来た時には、鄭先生の下で鍼灸医学を学びたいという思いをお伝えしました。
すると、俊江先生は携帯電話を取り出し、どこかに電話をし始めました。

電話を切ると、

「この後、鄭老(魁山先生のこと)に会ってきなさい」

と言われたのです。

中国では高齢の先生を尊敬の念を込めて、姓の後ろに「老」を付けて呼びます。
俊江先生も実の父を他人に話をする時は「鄭老」と呼びます。

そして、弟子の一人が鄭魁山先生のご自宅まで連れて行ってくれることになりました。
しばらく、鄭氏鍼灸研究所で見学をさせて頂きました。

小児脳性麻痺で手足が動かしにくい2歳の男の子。
交通事故で右腕が動かなくなった男性(運転手と同僚は助からなかったそうです)。
日本の治療院には来ないような症状の患者さんが治療に来ていたのは非常に印象的でした。

鍼治療で難しい症状を治療できるようになりたい!
病院では手の施しようのない病気の治療法を中国で学びたい!

心底感じた瞬間でした。

次の年、蘭州で修行を始めて知ったのですが、月曜日から土曜日8:00~12:00診療。
午前中で診療は終わりです。
その間、25~50人の患者さんを治療します。

汁なしねぎそば。夏らしく涼しげでいいですよね。美味しかったです!!

治療の様子を一通り見終わると、鄭魁山先生の元へ連れていってもらいました。
その時、鄭魁山先生にお会いするのはこれで3回目でした。2001年上海で開催された研修会でお会いして以来です。
そして、初めて鄭先生の奥様の孟昭敏先生にお会いしました。
もともと、孟先生は鄭先生の妹弟子です。

中国全土で鍼灸医師の教師を育成する国家プロジェクトのリーダーとして鄭毓琳先生(1896~1967)が選任されました。
その時に、鄭魁山先生と孟先生は共に鍼灸医学を学ばれたのでした。
そして、文化大革命が始まると、家族全員が甘粛省の農村地帯に下放されます。
後に、鄭魁山先生が甘粛省から全国にその名を轟かせることになったことはお伝えしました。
それを側で支えたのが孟先生でした。

初めて蘭州を訪れてから14年が経ちました。
蘭州で私を育てて下さった鄭魁山先生(1918~2010)、鄭俊江先生(1950~2015)もこの世を去りました。
来年は鄭魁山先生生誕百周年。
おそらく蘭州で記念行事が開催されることでしょう。

今もこの世の至る所に、鍼灸医学を知らないために治るはずの病気が良くならないままでいる人がたくさんいるはずです。
そのような、困っている方々に気づいてもらえるように日々、修行に励んで参ります。

初めて蘭州を訪れた時の写真。25歳、ピチピチしているひいろ。気合を入れて臨んだため、坊主です。(2003年撮影)

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この記事を書いた人

傳統醫學研究所日色鍼灸院院長。
約10年の中国留学の後、横浜中華街にて開業。鍼灸学士、医学博士。
世界医学気功学会常務理事。

鍼灸、気功、徒手療法などの施術を中心に、養生(生活習慣)の取り組みから身体をサポートする。

プライベートでは、5人の子供の父親。

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