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医学と僕とひいおじいちゃん

にーはお!ひいろです。
お陰様で、ミュージシャンを目指していた話は好評を得ているようです。
ありがとうございます!
ちなみに、僕はロッカー志望だったので、高校生の時に先の尖った革の靴を買いまして、大学にそれを履いていたらトンガリ靴の「トンガリー」と呼ばれていた時期がありました。
穴があったら入りたいです…。

さて、僕の曽祖父は当時、けっこう有名な眼科医でした。
その曽祖父の影響で小さい頃から医学に関心がありました。

曽祖父山﨑一雄は大正14年に新潟医専を卒業すると同時に御茶ノ水にある井上眼科で修行し、副院長を務めました。
後に、成田山の近くで山﨑一雄眼科を開業します。
京成線が一雄おじいちゃんの診察を受けるための患者さんで一杯だったこと、そして、診療所には朝から行列ができることから、人々はその様子を「山﨑列車」と呼んだそうです。
多い時は一日500人の患者さんを診療したそうです。
曾祖父は「目玉1000個だな」と笑って言っていました。

祖母以外の親戚、男は医師、女は薬剤師です。
その他には、獣医師と歯科医師もいます。
僕は鍼灸師。従姉妹と弟も鍼灸師です。
ほとんど親戚には会ったことはありませんが…。

「雄一、おめえはおれが逆立ちした名前だな」とケラケラ笑っていました。医学的な事は全く教わった事はありませんが、影響力は絶大でした。この時、僕は20歳かな??

高校生の時、進路で悩んでいた僕はテレビを見ていました。
救急救命センターで外科医の奮闘する臨床現場のドキュメンタリー番組は素晴らしく、感動に震えました。これはすごい仕事だ!
よし、医学部に行こう!と決意したのでした。

「でも、待てよ。医学部って偏差値めちゃくちゃ高いし、私立だと学費がものすごく高いんだよな…」と現実がまたしても行く手を阻みます。
またしても、途方に暮れてしましました。
僕の決意は柔軟性に富んでいますね…。

すると、母から「四年制の鍼灸大学があるわよ」とどこで仕入れたのか新情報です。
しかし、鍼灸なんて古臭いし、得体の知れない怪しいものなど西洋医学とくらべるとダサいじゃないですか。
もう一度、小さい頃から接骨院のお世話になっていた僕は、冷静に考えてみました。
「鍼灸と接骨を一緒にやったらどうなるんだろう??」と。

そこで、鍼灸の本を調べ、中国医学に辿り着いたのです。
中国医学について調べてみると、驚愕しました。
なんだこれは?!全ての現象を陰陽五行で捉えて、治療していくなんて凄すぎる!!
本当に衝撃的でした。

中国医学は西洋医学と違って、手術をしない道を歩み、発展していったことを知りました。
手術をしないで治せる中国医学はなんて素晴らしいのだろう!これは面白い!ということで明治鍼灸大学に行くことにしました。
当時は日本に唯一の鍼灸大学だったので、全国から学生が集まり活気に溢れていました。
しかし、今ではその熱気は完全に失われ鍼灸学部は風前の灯火です。

「雄一、おめえは鍼灸を選ぶなんて目の付け所がいいな。これからは東洋医学の時代だよ」と僕が18歳の時に96歳の曽祖父に言われました。
曾祖父は99歳で大往生。
生涯現役で医師を務めたのでした。

曽祖父は40~50代の時に、顔面神経麻痺の患者さんには鍼灸治療を勧めていたそうです。
当時は医師が鍼灸治療について言及するなど、相当な変わり者と認識されるような時代ですが、曽祖父は治療に対してかなり柔軟な考えを持っていたようです。

そういうわけで、引き続き、横浜中華街から中国医学の素晴らしさをお伝えできるように修行に励んで参ります。
再見!!

 

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この記事を書いた人

傳統醫學研究所日色鍼灸院院長。
約10年の中国留学の後、横浜中華街にて開業。鍼灸学士、医学博士。
世界医学気功学会常務理事。

鍼灸、気功、徒手療法などの施術を中心に、養生(生活習慣)の取り組みから身体をサポートする。

プライベートでは、5人の子供の父親。

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