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実は、ミュージシャンを目指していた時期があります…。

にーはお!ひいろです。
本日、iPadの画面が割れました。
カメラのある近くをもったら「バリッ!」といとも簡単に。
通常持っただけでは画面は割れないとAppleCareサポートの人に言われました。
鉄砂掌のやり過ぎでしょうか…。

さて、高校には軽音楽部に入りたくて行ったのですが、何か違うなと感じたので辞めました。
それでも、当時はミュージシャンを目指していました。
X(エックス)が大好きで、僕も東京ドームでライブをやるんだ!!という気持ちだけは強く、楽器の練習はよくやっていました。
今思えばどこに向かっていたのかよくわかりませんが…。
ちなみに、ベースです。

また、ドリームシアターとスティーブヴァイも大好きでした。
ドリームシアターの一部メンバーとヴァイはバークリー音楽大学で学んでいます。
ドリームシアターのメンバーは退学、ヴァイは卒業しています。
上原ひろみさんも卒業していますよね。

僕もこのアメリカの学校に行ってビッグになるんだ!と意気込んでいたのですが、一人でアメリカに行ってドラッグにはまってしまうと危険という理由で両親からは却下されました。
せっかく見つけた目標が打ち砕かれてしまったようで、打ちひしがれていました。
何でも親がかりでやろうとしていたところが甘過ぎましたね。

鶏肉の塩ラーメン!スープもさっぱりしているので飲み干してしまいます。でも、のどが渇かないです。時々、食べたくなります!

そこで、どういう訳か日本でオーディションを受けることにしました。
渋谷だったような気がするのですが、記憶が定かではありません。
東京のあるプロダクションのオーディション当日、審査をしてくれる男性スタッフの前でベースを弾きました。

そして、最後にプロダクションの社長との面接。

社長:ひいろさん、16歳ですか。うちに入ったら音楽で食べていけるだけの実力をつけて、バックアップします。
最初にお伝えしますが、音楽で食べていける方がおかしいですよ。
私も20歳の時にプロとしてデビューしたのですよ。
ギターをやっていたのですが、一番稼いでいた時は一月200万円稼いでいましたよ。
でもね、毎年若い人がデビューしていくと、年齢と共に仕事が減っていくのですよ。
私がデビューした時に300人くらい同期の人がいたんですよ。
今、私は50歳ですが、あれから30年。
300人いた同期が音楽業界にどのくらい残っていると思いますか??

ひいろ:どのくらいでしょうか…。
20人…いないくらいですか??

社長:ひいろさんねぇ…。
今、この業界に残っているのは、私だけですよ。
音楽で食べていける方がおかしいですからね。

ひいろ:……。

もうね、絶句ですよ…。
日色雄一16歳、現実を突きつけられました。
初めて、「これはやばい!東京ドームとか言ってる場合じゃない」と気づきました。
しばらくどうしたらいいのかわかりませんでした。
まぁ、数日ですけどね。

結果として、オーディションは合格したのですが方向転換することにしました。
作詞作曲部門で一緒にオーディションを受けた当時25、6歳の男性は今頃どうしているのでしょうか。
それを言ったら、プロダクションの社長さんはどうされているのか気になります。
本音でお話をして下さったお陰で人生を考え直す機会を与えていただきましたからね。
本当に感謝です。

そういう訳で、頑張ります!!
再見!!

 

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この記事を書いた人

傳統醫學研究所日色鍼灸院院長。
約10年の中国留学の後、横浜中華街にて開業。鍼灸学士、医学博士。
世界医学気功学会常務理事。

鍼灸、気功、徒手療法などの施術を中心に、養生(生活習慣)の取り組みから身体をサポートする。

プライベートでは、5人の子供の父親。

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