その後はどうなったのですか?という質問を受けました。

ひいろです。
2歳の娘にトレーニングパンツを履かせたのですが、気にいらないようです。
「アンパンマンのパンツがいい~」と言って聞きません。
アンパンマンのはパンツではなく、紙おむつです…。

それでは、本日のお話しに参ります。
本当は別の話題を書こうと思ったのですが、治療中にご質問を頂きました。
「その後、腰痛と相手の方とはどうなったのですか?結末が書いてありませんでしたが…」と。

当時、僕が腰痛をどうやって解消したか、という話で盛り上がり(僕が勝手に)、結末が抜けていました。
3000字超えていたので、これ以上書いても誰も読まないと思ったので、慌てて話をまとめた結果、大事な結末を書き忘れてしまいました…。

失礼しました!!

結末を言いますと、腰痛は感じているものの、激しい運動も長時間のフライトでも問題ありません。
また、その相手の方とは2007年以降も良好な関係が続いていますが、以前ほど頻繁にはお会いすることもお話することもなくなりました。
育てて頂いたご恩を感じています。
社会をそれほど知らない僕ですが、帰国して色々なこと経験するようになり、価値観が合わなくなったのかもしれません。

手前が「炒麺片」、左奥が「拉条子」。どちらもウイグル料理です。最高です!

「ぎっくり腰を過去に2回もやったことがあるのです」という方がいます。
僕は一週間に3回やったことがあるので、過去に2回のぎっくり腰なんて食あたりしたようなものです。
ぎっくり腰をやる場合は、不摂生や疲労が重なった結果、単発的に腰を痛めるようです。

ただ、一か月に1回、僕の場合は一週間に数回、腰を痛めていたことがあります。
これは人生を考え直さなければならない時期に来ていると考えた方がいいです。
直立二足歩行ができませんでした。
もう一生走ることはもちろんのこと、背中を伸ばして歩くことはできないのだろうなと思っていたほどです。

ご紹介した「内観」に取り組んだ後、一ヶ月後、つかまりながらならば歩けるようになりました。
劇的に痛みが解消されたと言う訳でわけではありませんし、葛藤していた相手の方との関係が特別改善されたわけではありませんでした。

その時、僕は修士課程の二年目の終わりが近づいていました。
修士課程は全部で三年。
博士課程も三年です。
帰国するのか、残るのか本当に悩んでいました。
内観」がひとまず済んだ後、僕の中で何もなくなってしまった感じがしました。
論文を書くとか、帰国したいとか、何かをしたいという気持ち全てがなくなってしまったのです。
その時、僕の心の中の感覚としては、耕してあるのですが、草が一本も生えていない畑のようでした。
何もする気が起こらないので、心の声に従い何もしませんでした。
この頃になると眠れるようになったので、横になって休息していました。
只々、休息するだけです。

二週間ほどすると、心の中の畑に小さな芽がいくつも出てきました。
不思議なことに本でも読んでみよう、という気持ちになったのです。
「芽が出たのを焦らずゆっくりと育てよう」と決めました。
そうすると段々と意欲が生まれてきたのです。
「あと四年間、中国で頑張ろう!」、そのような気持ちが固まったのでした。
自分の在り方を本当に見つめ直した体験でした。
一人で歩くことができない経験を通して、他人への接し方も改めさせられました。

北京では伝説の「神奇的杏仁豆腐」。1ℓは食べられそうです。でも、もう食べられないなんて、そんなの嫌だ!!

中国はある意味、弱肉強食の社会です。
列に並んでいても横入りは当たり前です。
赤信号は車と人では、歩行者優先ですよね?
中国では強い方が優先、という冗談があるほどです。
だから、渡る時は横目で車が来ているのを確認しつつも、運転手とは視線を合わせません。
視線が合うとお互い「お前が止まれ!」という気持ちなので轢かれそうになります。
そこで、気づいていないふりをすると車が譲ってくれるのです。
あ、あなたはマネしちゃだめですよ、危ないですから。

ある時、大学で事件が起こりました。
これは「内観」をする前の年の話です。
10年近く一人で留学生のビザを管轄していた先生が更迭されたのです。
代わりに引継ぎをした先生が一人でビザの手続きをすることになったのです。
当時、留学生と台湾・香港・マカオの大学院生100人はいたのでしょうか。
これを期限までに、その先生一人で処理しなくてはならないので大変です。
問題は大学院生の管轄は「研究生部(中国語で研究生とは大学院生のこと)」ということです。
しかし、外国とのやりとりは「外事処(国際交流を担う部門)」の管轄です。
留学生は外国人です。
そこで、大学内でもその責任の所在をめぐって対立が起こったのです。

時は21世紀。どうですか?この混沌とした感じ…。

ちなみに、書類がそろわないと当たり前ですが、ビザの発行ができませんので不法滞在になります。
最初、研究生部に行くと「あなたは留学生だから外事処で書類をもらってください」と言われました。
研究生部の先生がそう言うのだからと外事処に行きました。
外事処に行くと「なんでうちに来たの?君は大学院生だから研究生部だよ」と言われます。
その旨を研究生部に伝えると「うちに来ても印鑑は押せないから、外事処に行ってください」と言われます。
その時、気に入らなかったのは、さっき帰った西洋人のことは部屋の出口まで立って見送ったのに、僕のことは顔も見ないで事務仕事をし続けたことです。
僕、人間白帯ですね…。

仕方がないので、外事処に再び行くと「あれ?!君、また来たの??」と先ほど対応してくれた先生が言うのです。
さすがに様子がおかしいと思ったのでしょう。
外事処の処長を呼んできてくれました。そこで事情を話すと、処長は事情を理解したようでした。
処長の話によると、僕は大学院生なので、間違いなくビザは研究生部の管轄であるとの説明でした。
考えてみればわかるのですが、その証拠に今まで大学院生のビザ発行は研究生部が行ってきたのです。
研究生部と外事処は大学の同じ敷地内にありますが、歩いて5分では到着できません。
本日、三度目の研究生部です。
その時、十数人の外国人が並んでいました。
業務が順調に進んでいた時にはこのような事態にはなったことがありません。
先に並んでいる彼らに一言申し訳ないと伝え、その先生を大声で説教しました。
研究生部の先生方が集まってくる大騒ぎです。
まぁ、大騒ぎしたのは僕ですけど…。

あれほど高圧的で、上から目線だったその先生も泣いていました。
初めてやる仕事を突然やらなくてはいけなくなったのですから。
後から思えばその先生も被害者です。
その上、僕にものすごい大声で怒鳴られるのですから。
二十代の僕は人の立場や状況を顧みず、理不尽なことに対しては感情をむき出しにすることがありました。

事件の一年が過ぎた時でしょうか、「内観」を終えた僕はその先生がお子さんと歩いている姿を偶然見かけたのです。
その時は本当にいたたまれない気持ちでした。
僕が怒鳴ったその先生にはお子さんがいて、家では親なのだということに初めて気づいたのです。
罪悪感と後悔の念で一杯でした。

内観」をやったから腰痛が劇的に良くなった訳ではありませんが、人の気持ちを少しは考えられるようにはなったかな、という感じです。
よほど痛い目に合わないと人は変わりませんよね。

それでは、再見!!

 

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この記事を書いた人

傳統醫學研究所日色鍼灸院院長。
約10年の中国留学の後、横浜中華街にて開業。鍼灸学士、医学博士。
世界医学気功学会常務理事。

鍼灸、気功、徒手療法などの施術を中心に、養生(生活習慣)の取り組みから身体をサポートする。

プライベートでは、5人の子供の父親。

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