にーはお!ひいろです。
今週金曜日、お昼ご飯を食べに、いつもお世話になっている中華料理屋さんに行きました。
テレビ番組の取材中だったのですが、コメントを求められたのに気の利いた事が言えませんでした。
アドリブが弱いことを痛感。
まだまだ修行が足りません。
複数の方々にテレビに映っていたことを教えて頂きましたが、ブログを書いていたので見ていませんでした。
残念です…。
さて、2004年は甘粛省蘭州市にある鄭氏鍼灸研究所で修行をさせて頂きました。
当時、鄭氏鍼法研究会を主宰していたのは鄭魁山教授(1918~2010)でした。
鄭魁山先生は幼少時より実父鄭毓琳先生(1896~1967)に師事して、医学を学ばれました。
また、曾祖父鄭雲祥先生(科挙に合格)の下、『四書五経』などの学問を勉強されました。
当時、毛沢東の指示の下、鄭毓琳先生は中国伝統鍼灸を後世に継承する任務を与えられたのです。
そして、頭角を現した鄭父子は中国鍼灸界を席巻します。
中南海では周恩来首相をはじめとした中央政府の首脳の治療を行っていました。
文化大革命が始まるまでは…。
そして、ついに下放される時が来たのです。
鄭魁山先生は農村地域に下放後も鍼灸の臨床と教育のために奮闘し、甘粛省から全国へとその名を轟かせたのです。
西北鍼王鄭魁山と。
鄭氏鍼法は中国で代々継承されてきた伝統的な鍼法を中心とし、臨床の中で応用してきた治療法です。
はじめて鄭魁山先生を知ったのは、明治鍼灸大学在学中のこと。
研究課題について図書館で調べていた時に、このブログにも何回も登場する藤原大輔君(国家級老中医張士傑先生の高弟、張士堂院長)が一冊の本を持ってきてくれました。
この本はすごいぞ。
中国の鍼灸とは、どうやらえらいものだな。
と言うのです。
当時、僕たちは二年生。
『鍼灸学手技篇』(東洋学術出版社)を開いてみると、そこには「焼山火」、「透天涼」、「青龍擺尾」、「白虎揺頭」、「赤鳳迎源」、「蒼亀探穴」、「子午搗臼」、「龍虎交戦」など見慣れない漢字四文字から構成された鍼法の名前が並んでいました。
鍼灸についてまだまだよくわかっていませんでしたが、鄭魁山先生が鍼を持つ姿から老中医の威厳と風格がひしひしを伝わってきました。
それから三年後、オリエント出版社が開催する中国研修に参加した時、初めて鄭魁山先生の技を目の当たりにしたのです。
この時の感動が僕を中国留学へと突き動かしたのは間違いありません。
後に、オリエント出版社の野瀬眞社長が僕を蘭州まで連れて行って下さり、鄭氏一門に弟子入りさせて下さったのです。
蘭州の空港に降り立った時、雪が降り積もっていたのを覚えています。
市内までは岩山ばかりが一望できるまっすぐに伸びた道を延々と車が走り続けました。
野瀬社長のご尽力がなければ、中国人でも弟子になることが難しいのに、外国人である僕が弟子入りなどは到底できるはずがなかったのです。
野瀬社長、ありがとうございます!!
明日も修行に出かけてきます。
再見!!
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