勉強しないといけないの?と子供ながらにずっと思っていました。

ニーハオ!ひいろです。
昨日は怪しい内容について書いたのですが、ここ最近では最もアクセス数が多かったです。
意外でした…。

さて、僕は勉強が大嫌いでした。
今思えば、僕自身でも驚きますが、高校を選んだ理由が軽音楽部に入りたかったからです。
その軽音楽部の演奏を聴いたこともないのに。
しかも、人伝いに聞いただけの情報です。
自分で言うのもなんですが、本当にボンクラ高校でした。

とにかく、僕は小さい頃から勉強が大嫌いで、勉強する意味がわかりませんでした。
小学生の時、勉強しろと母にひどく叱られたのですが、僕は納得がいかず拒絶しました。
それでも母は執拗に勉強させようとします。
ある時、母がブチ切れて僕をひっぱたきました。
当たりどころが悪く、鼓膜が破けてしまったのです。
今だと新聞沙汰になりそうですよね(笑)。
幸い、後遺症は残りませんでした。
あ、物覚えが悪いのはあの時の後遺症かな…。

それでも、その後6~7年間は勉強嫌いでした。
ですから、勉強しない子供の気持ちがわかります。

ずっとこんな感じだったので、小学四年生の時にある大手学習塾の模試の結果を母が聞きに行った際、塾の先生に「息子さんはこのままいくと落ちこぼれますよ」と言われたそうです。
母はショックを受けていましたが、僕はどこ吹く風です。

まぁ、集中して授業を受けられない上に、家ではおとなしく座っていられませでした。
今だったら発達障害の疑いがあるから病院に行くように勧告を受けそうですよね。
中学生の時には、勉強したくなかったので、高校に行かないつもりでした。
うちの両親大変だっただろうな、と思います。

ものすごくワイルドで美味しそうなハンバーグでしたが、見た目だけはとても良かったです!!

適当に選んで行った高校ですから、学業という意味でも周りがどうしようもなかったのです。
もうね、本当にひどいですよ。
授業中に騒ぐし、先生のことをからかって授業を妨害するし…。
毎日、学校に行くのが憂鬱でした。

人間、勉強しなくてはダメなんだ、とある時に悟りました。
なんでこんなところに自分はいるのか、と自問自答したものです。
まぁ、自分で行くと決めたわけですから自己責任ですよね。
でも、後悔はしていませんし、むしろ行って良かったと心の底から思います。

「おれはこの学校では笑顔を見せずに、誰とも会話しないで、ひたすら勉強するんだ!」というよくわからない自分ルールが施行されたのです。
この闇の掟を破った時に、悪魔と盟約を結ばなければならない、という呪いをかけたものです(笑)。
中二病はあの頃から患っています…。

しかし、高校の先生はとにかく、素晴らしかったです。
化学、生物、数学、国語、英語、社会はけっこう勉強しました。
化学式を通して、化学反応の面白さを教えて頂いたものです。
国語では中島敦の『山月記』は難しいながらも勉強しました。
利己主義で、独善的な主人公がある時、虎になってしまう、切なく悲しい物語です。
なぜか主人公に自分に投影して、「おれも虎になるのだ」とよくわからないことを思っていました。
英語の先生には本当にお世話になりました。英語を学ぶ楽しさを教えて頂きました。恋心をモチベーションにかなり頑張って勉強したものです。

体育はバイオレンスな意味で凄かったです。
高一初めての授業は体育館でした。
半面を僕たち一年生のクラスが使い、もう半面では三年生がバレーの授業をしていました。

こちらはバスケットボールの練習をしていると、突然、反対側が騒然としたのです。
ある生徒がバレーボールを蹴ったらしく、先生にひどく怒られていました。
その先生が生徒を蹴り始めました。倒れている生徒をひたすら蹴り続けるのです。
「バレーボールは蹴るものではないだろ!お前も蹴られてみるか!」とブチ切れながら蹴り続けています。
今思えばツッコミどころ満載の先生ですよね。
確かに、バレーボールは蹴るものではないですが、人間はどう考えても蹴ってはいけませんよね。
なんて恐ろしい学校に入ってしまったのだ、と同級生と話していました…。

英語は、高校に入って「I have a pen.」からやり直しました。
文法の「SVO」から始めて、筆記体の練習もしました。
高校生の時に勉強することの大切さに気づいたのです。
僕は今までがひどすぎましたからね…。

常に向上心を持って勉強することが大切なのだと思います。
自分の専門分野を勉強していると、これをやるためにはあれが必要だから、先にこれをやるか、という感じで必要性が出てきます。
最近指摘されて気付いたのですが、世の中には楽しいこと以外やらない人もいるとは思いますが、僕の場合は楽しいと感じることは二の次で必要性があるのでやるという感じです。

鍼灸の生まれた地を見なくては鍼灸医学について語れないと思ったので中国に行きました。
本場の鍼灸を見ることで自分の治療はさらなる次元に上がるのだと感じたからです。
そういう訳で、病院に行っても良くならないという人が山ほどいます。
ですから、より良い治療ができるようになるためには、色々とやらなくてはいけないことがたくさんあるようです。

そういえば、六月にはTWICEが日本デビューするので、韓国語も勉強しないといけませんね。
横浜中華街に来るかもしれませんからね。
本気なのか冗談なのかよくわからないかもしれませんが、とにかく頑張ります!

それでは、再見!!

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この記事を書いた人

傳統醫學研究所日色鍼灸院院長。
約10年の中国留学の後、横浜中華街にて開業。鍼灸学士、医学博士。
世界医学気功学会常務理事。

鍼灸、気功、徒手療法などの施術を中心に、養生(生活習慣)の取り組みから身体をサポートする。

プライベートでは、5人の子供の父親。

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