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初めての蘭州訪問~西北鍼王に謁見~

ニーハオ!ひいろです。
今朝からウォーキングを始めようと思ったのですが、三日坊主どころか、始まりもしませんでした…。
妻にどうせ行かないと思っていたら、本当に行かないのね、と大笑いされました。
返す言葉もありません…。
でも、夢の中で中華街を歩いたり、自転車に乗ったり、武術の練習をしたので、そのせいで起きられなかったに違いありません。
まぁ、もともとインドア派ですから。

さて、私の鍼の師匠、鄭魁山先生については以前お話ししましたね。
鄭先生がいる蘭州は甘粛省の省都です。
もともと鄭先生一家は北京で中央政府の要人の治療に当たっていました。

しかし、1966年に始まった文化大革命の影響で甘粛省の成県に下放されます。
現代的な医療設備のない中、鍼灸治療で重病人の治療をされていたそうです。
その様子は『鄭氏鍼灸全集(人民衛生出版社)』の症例を読むと一目瞭然です。
治療に対する覚悟が凄まじいです。
生きるか死ぬかという病人を鍼灸で治療するのですから。

その後、蘭州にある甘粛中医学院で鍼灸医学の臨床、研究、教育に全精力を注がれました。
最期は、北京に戻る夢は叶いませんでしたが、西北地域から「西北鍼王鄭」の名を中国全国に轟かせたのでした。
私はある時、中国の複数の鍼灸学の書籍を開いてみたのですが、鄭氏鍼法の学術が色濃く反映されているのを確認しました。
この実績は、魁山先生とその実父鄭毓琳先生の努力の結果です。
毓琳先生は、毛沢東主席の号令に従い、伝統医学を後世に伝える国家プロジェクトに招聘された人物です。

中国では前菜を「涼菜」と言います。手前から「くるみ」、「黒酢のピーナッツあえ」、「ピーナッツのゆでたもの」。全部美味しかったです!!

ところで、2003年、北京では急性伝染病のSARSが大流行しました。
北京の街から人が消えたのを今でも鮮明に覚えています。
私の研修先であった広安門病院においても、無期限で中国人研修医は自宅待機が命じられました。
当然、外国人である私と藤原大輔君(張士堂院長)が引き続き研修することは許されませんでした。
そうなると、北京にいても自宅待機せざるを得ませんので、仕方なく一時帰国することを決めました。
その前に、西北鍼王に弟子にして頂きたい思いをお伝えずに帰国はできません。
そういうことで、お会いしに行って参りました。
蘭州に。

蘭州は中国の地図を見た時に、丁度、ど真ん中に位置します。
北京から蘭州まで汽車の快速に乗って21時間かかります。
普通で行ったならば2~3日はかかるでしょうか。
初めての汽車での一人旅。
色々と初めてのことが多すぎてカルチャーショックを受けました。

やはり、気になるのはトイレです。
残念ながらというのか、予想通りというのか、トイレは垂れ流し式でした。
ですから、停車駅が近づくと車掌さんが鍵を閉めて使えないようにします。
垂れ流し式なのですが、水周りが悪いため、汚物で塞がってしまっている時がありました。
混んでいる時期は席がないため、トイレにこもって休んでいる人もいました。
これでは他の人がトイレに行けないので、ちょっと迷惑ですよね。

多くの中国人乗客は家族や知人、友人と汽車に乗っています。
インスタントラーメンを持ち込んでいる人、キュウリや果物を持ち込んでいる人など修学旅行さながらの光景です。
私は一人旅なので、皆さんが楽しそうなのを眺めていました。
蘭州の旅は続きます。
(つづく)

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この記事を書いた人

傳統醫學研究所日色鍼灸院院長。
約10年の中国留学の後、横浜中華街にて開業。鍼灸学士、医学博士。
世界医学気功学会常務理事。

鍼灸、気功、徒手療法などの施術を中心に、養生(生活習慣)の取り組みから身体をサポートする。

プライベートでは、5人の子供の父親。

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