你好!!ひいろです。
Instagramの文章をロシア語で頑張って書いているのですが、無駄にエロい栄養士のお姉さんや筋肉ムキムキのボディービルダーやホモみたいなインストラクターからフォローされるようになりました。日露友好のためにも頑張ります!!
さて、中国では誰かと話をしている時に、年齢と出身地についての話題にしばしばなります。
年齢については「何歳なの?」とは直接的に聞かず、「なに年(どし)なの?」と干支を尋ねられることが多いです。
北京に行ったばかりの時、「属什么?(なに年ですか?)」と聞き慣れない言葉に戸惑ったものです
それから、出身地の話も。
中国人は同郷意識が非常に強いです。
四川省だけでも人口が約8200万人、山東省の人口は約9500万人です。
省が一つの国家に匹敵する人口です
同じ省の出身だとそれだけでも盛り上がります。
僕が経験したよくある会話をご紹介します。
中国人:「私は〇〇省の出身です、あなたは?」
ひいろ:「僕は日本から来た留学生です。」
中国人:「日本のどこの都市ですか?」
僕の実家は横須賀ですが、中国人には横須賀という地名はあまり知られていません。
「北海道」、「東京」、「福岡」、「京都」、「大阪」、「沖縄」、そして「名古屋」、「横浜」などはよく会話に出てくる地名です。
横須賀は小泉純一郎氏の地元です。
2002~2011年、僕が留学していた期間、特に前半、中国において小泉氏の評判はすこぶる優れませんでした。
小泉氏が総理大臣だった時に日中関係は甚だ悪化しました。
ですから、無用な衝突を避けるため、小泉氏の名前を出したくありませんでした。
そこで考えたのは「横浜、知ってる?」と聞くと絶対に相手は知っているので「横浜の隣の横須賀市です」と伝えていました。
しかし、徐々にそれも面倒になってきました。
そのうち、「え、出身?横浜、知ってる?」と簡略化されていきました。
4~9歳までは横浜に住んでいたことがあるので、うそではありません。
なぜか、僕の中で横須賀よりも断然、横浜に愛着がありました。
開業するならば横浜で!というのが出来上がっていったのです。
帰国して開業する場所を考えた時、上大岡でやりたかったのです。
仲介業者を通して上大岡の物件を探したのですが、なかなか見つかりません。
一件だけ、なかなかいい物件が見つかり、数日後に契約する話になっていたのですが、マンションの一室だったので、住人から不特定多数の来客がある店舗の許可が下りなかったのです。
以前もめごとがあったそうで、仲介業者から断りの電話が入りました。
上大岡駅前で人気の物件は、仲介業者の元に出回る前に大家さんとお客さんの間で直接決まってしまうという話を聞きました。
そこで、上大岡で顔の広い飲み屋の大将を紹介してもらえることになったのです。
ある日の夜、大将のお店に食事に行き、鍼灸院のための物件を探している旨を伝えると、自分にできることなら力になる、と言ってくれたのです。
これは嬉しいお話でした。
そこで、次はいつ大将のところに来たらいいでしょうか、と尋ねると、「上大岡に来た時に連絡くれ」というのです。
ですが、大将は複数店舗を経営していると聞いていたのと、夜遅くまで仕事をしているということなので、なかなか会うのが大変だろうと思ったので、いつ会えるか知りたかったのです。
そこで、お忙しいと思うので、いつ上大岡に来たらいいか教えて頂けますか?
と尋ねると、「会えるかわからないが、とりあえず上大岡に来たら連絡くれ」と言われました。
その時、悟りました。
この人、協力する気ないな、と…。
だったら、最初から力を貸すとか言わなければいいのに、と一人思ったのでした。
その晩は、がっかりして家に帰りました。
帰国して二カ月が過ぎました。
一向に物件は見つかりません。
本当に、暗い気持ちになりました。
北京で勉強と治療で充実した毎日を過ごしていたのに、一転して物件探しに明け暮れる日々。
しかもことはなかなか前に進みません。
大学の同期で留学時代、共に学んだ新潟は十日町市の「はりきゅう治療院張士堂」の藤原大輔君から、「貴殿が帰国したので、横浜で中華でも食べようではないか」と連絡がありました。
藤原君も中華が好きなので、横浜中華街に行ってみようという話になりました。
それならば、四川料理を食べてみようと、全然詳しくない横浜中華街について調べました。
そして、ある日の夕方、横浜中華街にある四川料理のお店で食事をしました。
帰国後の経緯を伝え、物件がなかなか見つからないことを彼に話すと、ちょうどお店の窓の外に見える建物を指さすのです。
そこに見えたのは「貸店舗」の文字。
藤原君は言いました「お前、ここでやればいいんじゃないの?」と。
はい、出ました、いつもの適当さ…。
横浜中華街と言えばチャイニーズマフィアがいるところではないのか?(注:当時の僕の勝手な妄想ですので、事実とは異なります)。
もし、そんなところで開業したらどうなってしまうのだろうか?(注:当時の僕の勝手な妄想ですので、事実とは異なります)。
結局、藤原君と話をしても何も解決しませんでした。
その時は…。
次の日になって、冷静に考えてみると、横浜中華街で治療院を開くことを考えてみたこともありませんでした。
僕は中国に約十年住んでいたのだから、それもいいのではないか、と考え始めたのです。
でも、チャイニーズマフィアがいたらどうしよう、という考えも同時に浮かびます(注:当時の僕の勝手な妄想ですので、事実とは異なります)。
開業の協力者から面白い不動産屋さんが見つかったので紹介したいとの報がありました。
中国語は話せませんが、華僑の方でした。
事前に、協力者が中華街で物件を探している旨を伝えてくれていました。
「日色さんにぜひ紹介したい物件があります」と連れていかれたのが「廣東會舘」でした。
そうです。今、日色鍼灸院が入っているビルです。
一目見て大好きになりました。
人との出会いもご縁ですが、物件との出会いもまたご縁です。
結局、はじめに見せてもらった物件で決まりでした。
この華僑の不動産屋さんに聞きましたが、物件を探し始めて一年半経っても決まらない人は全く決まらないのです、と。
2011年7月下旬に帰国して、その年の12月に開業しました。
11月一杯は廣東會館倶樂部創立60周年記念企画「孫文と横濱華僑」のため、12月の開業となりました。
藤原君、適当なんて言ってごめんなさい!!
やはり、僕は色んなものを含めて中国が大好きです。
そして、日本にいながらにして、毎日中国にいる感じがする横浜中華街もまた大好きなのです。
ですから、横浜中華街から鍼灸、気功、養生など中国医学の良さを知って頂けるように情報を発信して参ります!!
当院に治療に来られる方の間では、「日色鍼灸癒身体、中華美食満心腹」と言われています(笑)。
(日色鍼灸院で身体を癒し、横浜中華街の料理で心とお腹を満たす)
中国語ができる方はぜひ、中国語で読んで下さいね。
特に中央電視台の番組の途中でお酒のCMの感じでお願いします。
ものすごく、それっぽい感じがすると思います。
まぁ、雰囲気ですけど。
それでは、晩安!!
コメント